ヌードスタジオ再生は

隣のヌードスタジオがいよいよ廃業することになった。
看板も舞台も撤去し、元に戻して大家さんに引き渡すということで心配したが
大家さんの意向で、内装はそのまま残すことになり一安心 。
さてこの温泉文化遺産をどう活かせばいいのだろうか。
私のアイデアは、ワンコインのショットバーである。
店内にカウンターを置いて、舞台には大型液晶テレビを設置し、ヌードスタジオの雰囲気を愉しみながら
酒を飲みながら、テレビで昭和のレトロな怪獣映画やロマンポルノ、それに植木等さんの無責任シリーズ等を見るというもの。
そこに話し好きで接客の上手いママがいれば、最高なのだが。
いかがでしょうこのアイデア
もっといい案があれば、コメント下さい。
大人の国の酒場
伊丹十三の「女たちよ!」という本に、名優ピーターオトゥールが語るアイルランドの田舎の酒場の話があります。
ここは深夜営業の許可を持たないので、夜中に酒を出すことが出来ません。
そこで夜中に何人かの客が 酒を飲んでいると…
お巡りさんがアイルランド民謡を声高く唄いながらやってきて、酒場の入り口へ来ると咳払いして独り言を言うそうです。
「おや儂の時計ではもう一時になっておるぞ、こんな時刻にまさか酒を飲んでおる者もなかろうが、しかしこれも儂の役目だ、一つ不意打ちに検査してみるか」と言って、5分程してからドアをノックして酒場に入って来る…
そこで酒場の親爺が、お巡りを夜道へ送り出しながら「道中のために一杯」と酒を差し出し、客も帰って行く…
…というものです。

もし現在の日本でこんな事が明るみに出れば、マスコミが大いに叩くでしょうが、僕はこの話、好きですねえ。
コミュニティの隣人同士が、お互いを信じ、尊重しながら生きている感じがするではありませんか。
僕は違法な行為は見逃しませんが、酒は自己管理の問題ですから、杓子定規に犯罪者をつくることはないと思いますよ。
はい?この前のラブホテル火災の消防署の対応はどうかですって?
あれは僕は許しません!消防署の怠慢、甘い対応が招いた人災といえるでしょう!
見逃していい問題と、見逃してはならない問題があるはずです。
コミュニティが無く、良識が機能しないところでは、当局がもっと厳しく、営業停止を含めて勧告するべきだったのではありませんか~っ!プルプル!
久しぶりで 言葉が上手く出ない杉下右京?…号泣
「タイムスクープハンター」断髪令の頃
昨夜NHKの「タイムスクープハンター」で断髪令直後の新潟県の騒動を取り上げていた。
なかなか断髪しない者の髷を無理矢理切り落とそうとして、銃を持って抵抗されるが
明治天皇が断髪されたとの報に、抵抗していた者達も断髪を覚悟し、騒動が収まるという話だった。
断髪令は不平等条約を改正しようと、日本人が国際社会から紳士として認められるため発布された。
しかし数千年続いた結髪文化を変えるのは容易ではなく、明治6年3月20日天皇自ら範を示されたのである。
資料によれば、地方の断髪率は
明治6年 30% 10年 65% 13年 80% 16年 90% 21~22年 100% となっている。
鳥取県では、日野郡の光本勇蔵という人が明治6年3月、友人の勧めで断髪し、夜更けに帰宅、
翌朝妻がこれを見て気味悪がって、驚き騒ぎ、ついに離婚騒ぎになったという記録が鳥取新報11号に残っているという。
私の店では、昭和40年頃、地元出身の幕下力士がひっそりと断髪した例があるが、
新たな出発として、明治の人の覚悟と重なるものがあったことだろう…何故か号泣
。
三徳山越え
昨日、鳥取へ向かい三徳山を越える途中の風景です。



杉の木の整然とした濃い緑と、その間から伸びる新緑の対比が面白くシャッターを押しました。
サングラスで見ると、杉の三角形がもっと際立って見えたのだけど…号泣
「柳宗悦展」を見て
今日はやっと念願が叶い、鳥取県立博物館の「柳宗悦展」へ行った。
白樺のメンバーから贈られた朝鮮の陶磁器によって、民衆が創りだす美に眼が開かれ、
台湾、沖縄、アイヌなどの工芸品の美へ、更に、無名の工人が作った日用雑器の用の美の発見へ
そして民芸運動の展開から宗教的美の境地までが、順を追って展示され、柳の思索が物と共に辿れるようになっている。
まず先住民や原住民の、風土や伝統に根ざした、土俗的な生命力あふれる造形に圧倒され、
柳の応接室を再現したコーナーでは、彼の厳しい眼で選ばれた物で一分のスキ無く構成された部屋にもし招かれたら
緊張してとても寛ぐことは出来ないだろうなと、冷や汗をかく自分を想像したり、
形骸化した茶道に一石を投じようと、柳自らが選んだ茶器を見ると、こんな茶碗でお茶を飲むとさぞ美味しいだろうなと楽しくなった。
しかし最後のコーナーになると、見慣れた民芸調と言う感じがして、正直面白くなかった。これは、
彼の理論と眼が余りにも厳密だったため、工人達がそれに束縛されてしまったのではないだろうか。
それは茶道が、茶祖が余りにも偉大だったため、その呪縛から逃れられず、自由を失った姿と重なってしまうのだが…。


現代の工芸、民芸はこれからどうあるべきか、答えのない問いに今も頭を悩ましている。
あ、墨描飾竹文様暖簾、(19世紀、京都 )にはビックリ。これはスゴイわ…
博物館を出た後は、「吾妻」で山かけそばの大盛りを食べるのがいつものパターン、美味しかった
でも、新しい味を試そうとしない私も、束縛されているのかと…号泣
「胃のヘルニア」
私が中学3年の時、三学期とも通信簿で体育は5の評価だった。
その時の体育のY先生は、逆立ちができる子は皆5に評価 したからである。
先生の持論は「「ヒトの祖先が四足で歩いている時は、内蔵が背骨に対して直角に引っ張られていたが
直立二足歩行になってからは、内蔵が背骨と平行に下に引っ張られるようになり
、
これが万病の元になっている。これを治すのに一番いいのは逆立ちをすることだ 」というものだった。
何故こんなことを思い出したかというと、母が吐き気がして食欲が無いのは、脳梗塞以外に、
猫背のため、胃袋が下腹に圧迫され逆ひょうたん型になっているというのが分かったからだった。
これを「胃のヘルニア」と言い、治すには大手術が必要だとのこと。初めて聞いたわ
じげぶらーの皆さんも長時間パソコンに向かっていると、胃が圧迫されて ヘルニアになるかもしれません。
毎日四足歩行か逆立ちを…号泣
小人さんがお手伝い?
先日、母が脳梗塞の疑いで入院した。
それまでも初期のアルツハイマーで認知症が始まっていたのだが、
点滴を続ければ、症状が軽くなると言われて、結局三週間の入院になった。
個室なので話し相手もなく、何か脳を刺激するものは無いものかと、
本屋で探すと「川島隆太教授の脳を鍛える大人の漢字ドリル」と言う本があった。
早速買って帰り、母にやり方を教えると、最初の1ページは難なくクリア。
中国の故事やことわざの起源も覚えられるので、興味が持てたのだろうと喜んだ。
が、次の日に見ると全然進んでいない。その次の日も全然…という日が続き…
とある日見ると、十数ページも進んでいる
「おお随分進んだなあ、脳が活性化したんだ」、と喜び、
「いつの間にこんなにやった?すごいなあ!答えも合ってるし」
と言うと
「いつやったかなあ、覚えてないわ 」との返事
。
字はどう見ても母の字だし…
、
小人さんが夜中にこっそりやったということはないでしょうね …号泣
「自助論の世界」
司馬遼太郎の「明治という国家」には「自助論の世界」という章が大きくページをさかれている。
「自助論」はイギリスのサミュエル・スマイルズによって著された本で、立身出世した人々の刻苦勉励を説き、
自律、自助、勤勉、質素、倹約、誠実、勇気といったプロテスタント的徳目を称揚する本と言ったらいいだろう。
日本では明治初期に、中村正直によって「西国立志伝」として邦訳された。当時数十万部が売れたといわれ、今でも読み継がれている。
「自助論」の価値観は、日本の武士道、商家の家訓、心学 と共通し、主を失った元武士達の新たな心の支柱になったと言われる。
そのような時代の空気を吸って育った、昔の理容業界の偉大なリーダーY師は、あらゆる規制を嫌い、組合員への低利な金融制度さえも恥ずべきと拒否したという。
納税者として補助金を使うのは、恥じることではないが、
お上を私企業のために煩わせるのは恐れ多いという封建時代の意識もあり、自律、自助の気概の源となっていたらしい。
アメリカでも古き良き自助の精神が生きていたのは、1950年代までだと、司馬さんは言うが、
日本でこのような精神が生きていたのは、いつの頃までだったのだろうか…。
アメリカの図書館の成り立ち
ニューヨーク近代美術館は1929年ロックフェラー婦人等3人の女性によってビルの1室から始まった、と言われる。
20年近く前、弟がニューヨーク勤務になったのを機に、ニューヨーク郊外のタカホ村を訪ね、図書館の成り立ちを調べた。
1912年、郡の婦人会30人が、村役場に図書館をという運動を起こし、住民に呼びかけ、本の寄贈をし、図書室が出来る。
そして蔵書数の増大とサービスの向上のため、独立した図書館になったのが1979年で、67年かかって完成したことになる。
歴史を見ると、アメリカ建国100年の頃、「社会の進歩のため」をスローガンに、コミュニティの図書館建設運動が始まる。
それにカーネギー財団が支援し、1899年~1905年の6年間に630のコミュニティに図書館が建設された。
しかしこの運動は1911年に急速に下火になってしまった。
タカホはこの時代のバスに乗り遅れ、郡の婦人会が、自分達の手で図書館をという活動を起こしたののだろうとおもわれる。
これは村の公民館も同じで、1960年、当時の警察署長が、署員の体力作りのためにと、村人から寄付を集め小さな体育館を建てる。
それが様々なサークル活動にも利用されるようになり、1979年、図書館と共に、タカホコミュニティセンターとなったのである。
岩倉使節団の久米邦武は「米欧回覧実記」に「ヨーロッパの自主の精神、この地に集まれリ」と記したが、改めてそれを実感した旅だった。
…続くかも…
ある美術館の成り立ち
組合の会報をやっと仕上げたところ、
みささ美術館の存続を議論するメンバーを募集していて、
今日が申し込みの締め切りの日だという。
あわてて提案書を書き上げ、役場に提出したら、もう目がショボショボ。
田舎の文化施設の多くは、補助金による箱物行政によって建てられ、
現在は、その運営に四苦八苦している所が多い。
と考えながら、思い出したのは30年前のことだった。
アメリカのアイオワ州の州都デモインにホームステイした時のこと、
ホストに、地元の人が誇りにしている美術館へ連れて行かれた。
その立派な美術館は、1916年に結成された美術愛好会によって始まったという。
彼らは「芸術に親しみ心豊かな生活を」と作品の収集を開始し、
それに実業家グループが寄付をし、商工会や婦人会の支援を得て、
図書館などで展覧会をするようになる。
やがてビルの一室を借りて美術館とし、学芸員も雇うようになる。
そして創立会員であった実業家が莫大な遺産を寄付し、
1948年有名な建築家サーリネンによってモダンな美術館が完成する。
そして作品が増えるにつれ、二期三期とそれぞれの時代を代表する建築家によって増築され
約70年かかって「デモインアートセンター」が完成したのだった。
随分昔のことなのでどんな作品があったかハッキリと思い出せないが、
デュビュッフェやジャクソン・ポロック、ジョージア・オキーフ、マルク・シャガールの絵は印象に残っている。
日本の補助金箱物行政との違いが分かって頂けただろうか。
…続く …
