金錯銘鉄剣!
テーマ:ブログ
2011年09月19日 10時59分
台風が近づいていますが、今のところ快晴です。
きょうは1978年(昭和53年)に、稲荷山古墳で、
出土した“金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)”の、
115文字の解読に成功しています。
金錯は金象嵌のことで、象嵌(ぞうがん)は、
広辞苑によると、金属・木材・陶磁器などの材料に、
模様を刻んで、他の材料(金・銀・赤銅・四分一)、
などをはめ込む技法とか。
この剣は1968年(昭和43年)に埼玉古墳群(埼玉県
行田市ぎょうだし)にある稲荷山古墳(前方後円墳)の、
後円部分の発掘調査で、“画文帯環状乳神獣鏡
(がもんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう)や、
多量の埴輪など共に出土したものです。
1978年に腐食の進む鉄剣の保護処理のため、
X線検査が行われ、鉄剣両面に115文字の漢字が、
金象嵌で表されていることが判明しました。
(表) 辛亥年七月中記、乎獲居臣、上祖名意富比垝、
其児多加利足尼、其児名弖已加利獲居、其児名多加
披次獲居、其児名多沙鬼獲居、其児名半弖比
(裏) 其児名加差披余、其児名乎獲居臣、世々為杖
刀人首、奉事来至今、獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時、
吾左治天下、令作此百練利刀、記吾奉事根原也
文字の解釈は、「私の祖先は代々、杖刀人の首を、
務めてまいりました。私は獲加多支鹵大王に仕え、
天下を治めるのを補佐してきました。そこで辛亥年、
七月に、これまでの輝かしい功績を剣に刻んで、
記念とします。」
※ 辛亥年は471年が定説で、531年説もあるとか。
1981年(昭和56年)、他の副葬品と共に、
重要文化財に指定。1983年(昭和58年)、国宝指定。
埼玉県立さきたま史跡の博物館内で、
保管・展示されています。
・・・かなりサビサビなのね~wqqq
きょうは1978年(昭和53年)に、稲荷山古墳で、
出土した“金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)”の、
115文字の解読に成功しています。
金錯は金象嵌のことで、象嵌(ぞうがん)は、
広辞苑によると、金属・木材・陶磁器などの材料に、
模様を刻んで、他の材料(金・銀・赤銅・四分一)、
などをはめ込む技法とか。
この剣は1968年(昭和43年)に埼玉古墳群(埼玉県
行田市ぎょうだし)にある稲荷山古墳(前方後円墳)の、
後円部分の発掘調査で、“画文帯環状乳神獣鏡
(がもんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう)や、
多量の埴輪など共に出土したものです。
1978年に腐食の進む鉄剣の保護処理のため、
X線検査が行われ、鉄剣両面に115文字の漢字が、
金象嵌で表されていることが判明しました。
(表) 辛亥年七月中記、乎獲居臣、上祖名意富比垝、
其児多加利足尼、其児名弖已加利獲居、其児名多加
披次獲居、其児名多沙鬼獲居、其児名半弖比
(裏) 其児名加差披余、其児名乎獲居臣、世々為杖
刀人首、奉事来至今、獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時、
吾左治天下、令作此百練利刀、記吾奉事根原也
文字の解釈は、「私の祖先は代々、杖刀人の首を、
務めてまいりました。私は獲加多支鹵大王に仕え、
天下を治めるのを補佐してきました。そこで辛亥年、
七月に、これまでの輝かしい功績を剣に刻んで、
記念とします。」
※ 辛亥年は471年が定説で、531年説もあるとか。
1981年(昭和56年)、他の副葬品と共に、
重要文化財に指定。1983年(昭和58年)、国宝指定。
埼玉県立さきたま史跡の博物館内で、
保管・展示されています。
・・・かなりサビサビなのね~wqqq
コメント
トラックバック
この記事のトラックバック URL :
http://blog.zige.jp/kitune/trackback/300963
http://blog.zige.jp/kitune/trackback/300963

